『でも、この曲の歌詞に〈後でわかるんだ〉、
〈思い出だけは変わらない〉ってあって。過ぎ去った後に、あの時のあれが幸せだったんだなとか、あれが楽しかったんだなって後で感じたりする…もっと大事にしておけばよかったと思うかもしれないけど、それも含めて一つの思い出なので、“後でわかる”っていうのは悪いことじゃないなって』　　　　　　　 　　　　　　　　　　　　　　　 　　　 　　　　
　　　　　　　　　　　　　──西條和 (22/7)
　　　　　　　　◇　　◇　　◇
今日も。
わたしは自分のスマホを眺めている。
あの子からの着信が。
今日こそはあるんじゃないかって思って。
声が聞けるんじゃないかって思って。
待ってるんだ。
ずっと。
ずっと。
　　　　　　　　◇　　◇　　◇
「皆さん」
会議室の扉の外でスタッフに確認をとっていた合田蒼が、不意に顔を覗かせた。
「定刻になりますが、先方は1時間ほど遅れてお見えになるそうです。申し訳ありませんが、それまで各自休憩してお待ちください。ただし、到着次第速やかに会議を始めさせていただきますので、くれぐれも外出しないようお願いします」
合田の言葉に、集まっていたメンバーたちは一斉に相好を崩した。
今秋開催される『22/7マジカルツアー』最大の胆であるイリュージョンマジック。その監修者が空港からの酷い渋滞に捕まって到着が遅れるらしいのだ。
初顔合わせにいくぶん固くなっていた少女たちは緊張がほぐれ、たわいもないお喋りに興じ始める。
そんな中。
一之瀬蛍はそっと席を立って、ひとり部屋から抜け出した。
同期たちの明るい談笑に背を向け、後ろ手で扉を閉める。誰も気づかないのも無理はない。ドアの開け閉めについては一番優しく静かだと評されているほどだ。
それは、良くも悪くも蛍の繊細さの表れだった。
エレベーターホールには向かわず、怯えた猫のような足取りで非常階段へ。1度周囲を見渡すと重い防火扉を開け、中に滑り込んだ。
すると──。
「あ、れ。蛍ちゃん……？」
「あ……、みうさん……」
【▼B7　B5▲】の誘導灯が照らす薄暗い踊り場で鉢合わせしたのは、先輩メンバーの滝川みうだった。
みうは怪訝そうに、
「どう、したの？」
と尋ねてくる。
蛍は慌てて、つい問い返してしまった。
「みうさんこそ……なんでこんなところに」
22/7の所属事務所『G.I.P』の社屋は地上3階・地下7階で構成されている。ダンススタジオやレコーディングルーム、そして企画会議室などを含めて芸能プロとしての主要な施設はすべて地階に作られていた。メンバーの控え室である通称『22/7』ルームに至っては、よりによって最下層B7にある。
当然ながらこのような環境で、日常的に階段を使う者などいるわけがない。
「わたしは……お散歩。いつもの」
みうは少々はにかむように答えた。
「階段に居るの……好きなんだ。人も来ないし。……空が見えないのは不満だけど」
ああ、そうだった。蛍は得心した。
この人は『滝川みう』だった。いつもフラッと待機場所から姿を消しては、どこをさ迷い歩いているのか誰にもわからない。入り時間が迫ってくると、慌てたスタッフによって毎度捜索隊が結成される。
人嫌いで少し変わり者の……先輩アイドル。
「会議……まだ始まってないの……？」
小動物みたいに小首をかしげるみうを見て、蛍はようやく落ち着きを取り戻した。
「あ……、そのぅ……お見えになる方が……渋滞で遅れるって合田さんが」
「そうなんだ」
「えと……それで1時間待機だそうですぅ……」
「ふぅん……」
さほど関心がない表情でみうは宙に視線をさ迷わせる。
「それじゃ……次、どこ行こう……」
「はぁ…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
沈黙。
メンバーの中でも寡黙属性トップと次点の2人が揃えば、当然の帰結である。
「ふぅ……」
蛍はこっそりため息を吐いた。
ひとりになりたかった。
そのために抜け出してきたのだ。
仲間たちの笑顔の輪に入っていく気持ちにはどうしてもなれず。
ここ数日あまり、蛍はそういう場面に出くわすとさりげなく距離を置くようにしていた。何か用事があるような振りをしてその場を離れ、『あの場所』でひとり時間が来るまでひまを潰している。
無論、別に誰かと仲違いをしているとかいう話ではない。それどころかそんな蛍の様子に皆も気がついてはいるものの、敢えてそっと見守ってくれているようだ。
何故なら、蛍が抱えているであろうものを皆も等分に胸の裡に秘めているからだ。
要はそれを出すか出さないか、その違いだけ。
(みんなは強い)
(私は……弱い)
自分の弱さが情けない。
でも、どうすることも出来ない。
そう、すべての原因は蛍自身の心。そのことを彼女は重々承知しており、その上でこの『ぼっち状態』を続けているのだ。
蛍はどう言えばみうと離れて『あの場所』へ行けるのか、それを頭のなかでぐるぐると考えていた。
「あの……蛍ちゃん？」
「は、はい！」
思索に没頭していた蛍は、呼び掛けられて我に帰った。
「……蛍ちゃんは……どこへ行くところだったの？」
「え……？」
　　　　　　　　　　　　　　　　　　 つづく
　　　　　　　　　サムネイルアート：totoさん